最近は買うことは無くなりましたが、けっこう雑誌は好きなんです。先日ふらりと図書館へ行くと、「アートは教養です」と書かれた表紙の女性誌を発見。ちょっと手に取ってみました。

序文には、アートは昔からあるもので 人々はその感動を糧にして生きてきた、とか。現在も、即物的なものでは補えない充足感をアートで満たしている、とか。
アートというとなぜか「描いたもの」という認識が一般的に多い気がしています。しかし「アート=芸術」。音楽や映像、詩歌、などいろいろあります。音楽なんかは普段の生活に入ってきているので芸術としてあらためて構えることなく触れられるものですが、絵画とかそういうものになるとぐんと敷居が高くなる感覚がありますよね。
この雑誌の記事にも書いていましたが、美術館などでアートを鑑賞するときは「理解しなきゃ」と思う方が大変多いように感じます。でもそれはちょっと違うかなと。
理解できそうならば理解を深めたり考察することで感性や思考が深くなるけれど、さっぱりわからないものを手がかりなしに理解するのは至難の技です。だからまずは、「感じればいい」と思います。

感じる、は難しい?

感じる、が難しければ好きか嫌いか。わたしは子供の頃から芸術に興味があり、田舎の数少ないときどきくる展覧会に必ず行き(というか親に連れて行ってもらって)ぐるっと会場を回り「好き」と思った作品の前にもう一度行き じっくりと気の済むまでその場にいる、という楽しみ方でした。実は、今もそんな感じです。

アートの難しさはたとえ理解できたとしても、それが正解かどうかは誰にもわからないからかなと思ってます。答えを合わせてほっとする、あれはできないので、答えを当ててほっとしたい人には取っつきにくいのかもしれませんね。

香りは感じるもの、でいい

香りもある意味そうです。香りは好きか嫌いか、という勝手な解釈だけで答えがないから、「香りがわからない」という方が多いのかもしれません。
わたしは香りはわかるよりも体験することに意味があると思います。今は無臭か人工香料かの選択がほとんどで寂しい限りです。生きているものには香りがあります。その分析しきれない香りを体験して習得する。化学式を覚えるということではなく、「こういう香り」をあなたなりの解釈で覚えていく、それだけで十分と思います。その体験が直接何かの役に立つことはないかもしれませんが、心の動きとそれを知った事実は、なにも知らなかった時よりもはるかに満たされていると思います。

体験が、人を成長させ豊かにします。私の扱うアロマは小瓶の中に収まっていますが壮大な自然が詰まったものといっていいでしょう。香りを受け入れられないときはストレスがある、ということは、いろんな香りを受け入れられるのは心にゆとりがある証拠と言えます。そうして体験を増やすことで感性が磨かれていきます。

アートは心の隙間を満たし躍動を与えて感性を磨き、人を成長させるもの。香りも同じような存在ではないかと、この雑誌を読んで改めて思いました。
ぜひ、教養としても「香り」を普段からたしなむことをお勧めします。


リクトでは調香のほか、珍しい香りを含むアロマの体験、レッスンなどの会を随時開催しています。お気軽にお問い合わせください。